高校時代のチームメイト金田正一とは腐れ縁!高木公男の監督としての活躍は?

高木公男は、3歳下の金田正一との関係性が深い人物でした。同じ享栄商出身であり、共に指導者となると、ロッテオリオンズの一軍、二軍監督としてチームを牽引。豪快な金田監督の不在時は、高木公男が代行を務めることが常でした。さらに世紀のトレードとなった落合博満との中日側交換要員を選出したのも、高木公男でした

BBCrix編集部

高木公男の監督・コーチ歴について

■高木公男の指導者歴

1962年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ補佐
1963年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ補佐
1964年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ
1965年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ
1966年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ
1967年 高木公男:東映フライヤーズ二軍コーチ
1968年 高木公男:東映フライヤーズ一軍コーチ
1969年 高木公男:東映フライヤーズ一軍コーチ
1970年 高木公男:東映フライヤーズ二軍監督
1971年 高木公男:東映フライヤーズ一軍コーチ
1973年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1974年 高木公男:ロッテオリオンズ一軍総合コーチ
1975年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1976年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍コーチ
1977年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1978年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1979年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1980年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1981年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1982年 高木公男:ロッテオリオンズ二軍監督
1987年 高木公男:ロッテオリオンズ一軍総合コーチ
1992年 高木公男:日本ハムファイターズヘッドコーチ

選手時代、高木公男は突出した成績を残せませんでした。しかし上記の指導者歴が示すとおり、多くの球団でコーチを務めます。特にロッテオリオンズにおいては、通算で8年間も二軍監督を務めました

高木公男の監督成績

高木公男には正式な監督経験はありません。しかし金田正一監督の代行として幾度も務めることはありました。退場による出場停止など、金田監督が指揮をふるえない時は、きまって高木公男が代行となりました

■通算0年 Aクラス0回(監督代行のみ)

金田正一の監督代行といえば、3歳年上の同級生だった高木公男

高木公男は、愛知県出身で享栄商業高校出身です。同級生には後の大投手・金田正一がいました。高木公男は金田よりも3歳年上でしたので、普通ならありえないことでしたが、お互い編入で享栄商に入学していました。飛び級で編入していた金田は2年時に甲子園を逃すと中退してプロへ、高木公男も1年遅れで同じ世界に飛び込みました。高木公男は、地元の名古屋ドラゴンズに内野手として入団。

1952年にルーキーながら、17試合に出場しました。ただ高木公男は、驚きのことに1年で中日を退団。プロの水が合わなかったのか、高木公男は愛知産業に入社してプレーを続けました。

しかし1年後、高木公男はプロの世界に戻ってきます。高木公男は東映フライヤーズに入団すると、今度は8年間プロとしてユニフォームを着続けました。高木公男は、中日時代も合わせて、通算9年で505試合に出場し、216安打と特筆すべき数字は残せませんでした。それでも翌年から高木公男は指導者に転身すると、現役時代よりも長い期間、プロの世界で存在感を示すことになります。

高木公男は、1962年から古巣フライヤーズのコーチに就任。すると水原茂監督2年目のチームは見事に球団創設初優勝に日本一を達成。その後、水原体制は1967年まで続きましたが、高木公男もずっと二軍コーチとして支えました。水原監督の勇退後も、高木公男は一軍コーチや二軍監督を歴任し1971年まで務め上げました。

1973年、3歳下の同級生・金田正一が、ロッテオリオンズの一軍監督就任するタイミングで、高木公男は二軍監督に就任。高木公男は、金田と高校時代以来の同じユニフォームを着ました。しかし規格外の金田監督は、とにかく破天荒。今では考えられませんが、試合に遅刻することもあったくらいでした。金田監督1年目の1973年、すでにパ・リーグ後期優勝が5日前に決定した10月10日、ロッテの八木沢荘六が完全試合を達成していましたが、金田監督は歯痛で自宅待機でした。この完全試合を監督代行として見届けたのは高木公男でした。その後も監督不在時に、代行を務めた人物こそ高木公男でした。1975年のペナントレース開幕後、金田監督が4月23日から5月5日まで心臓発作で休養した際も、もちろん高木公男が9試合を監督代行しました。

金田監督退任後も、高木公男はロッテに残留しました。ちょうどこの時、チームには25歳のルーキー落合博満が入団。落合の独特の打法は、理解されず酷評されていました。しかし二軍監督の高木公男は落合を使い続け、ファームながら5試合連続本塁打を達成。その後完全に一軍のレギュラーを掴むと、史上初となる3冠王を3度獲得する大打者となりました。落合を擁してもロッテは優勝できず、1987年からチームの顔でもあった有藤道世の監督就任が決定。しかしこの時、落合がまさかの中日とのトレードでチームを去ることが決定しました。かねてから落合獲りに本気だった中日は、即座に交換要員を提示。そして不在の有藤に代わって、選手を選んだ人物はなんと高木公男でした。

その後、高木公男はロッテから離れても、福岡ダイエーホークスのスカウトや、日本ハムファイターズヘッドコーチなどを務めた後、古巣中日ドラゴンズの寮長まで歴任。プロへの入り方が異色だった高木公男は、プロ野球界で様々な役割をこなしました。

http://www.jiji.com/jc/v?p=ziku-koushien_kyoei_photo16
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