読売ジャイアンツの歴代監督

読売ジャイアンツの監督は、すべて巨人軍でプレーした選手であり、その数は他の球団と比べると圧倒的に少ない現状です。一時、常勝軍団復活を期待して、星野仙一氏が指揮を振るうかもという状況がありましたが、それは異例中の異例だったのです。2016年からは、高橋由伸が青年監督として着任。長期政権にするためには、2017年の結果が欲しいところです。

BBCrix編集部

読売ジャイアンツの監督変遷

1934年 ~ 1935年:三宅大輔
1936年:浅沼誉夫
1936年 ~ 1942年:藤本定義(選手兼任)
1943年 ~:中島治康(選手兼任)
1944年 ~ 1946年 : 藤本英雄(選手兼任)
1946年 ~ 1947年 : 中島治康(第2次)
1947年 ~ 1949年 : 三原脩
1950年 ~ 1960年 : 水原茂
1961年 ~ 1974年 : 川上哲治
1975年 ~ 1980年 : 長嶋茂雄
1981年 ~ 1983年 : 藤田元司
1984年 ~ 1988年 : 王貞治
1989年 ~ 1992年 : 藤田元司(第2次)
1993年 ~ 2001年 : 長嶋茂雄(第2次)
2002年 ~ 2003年 : 原辰徳
2004年 ~ 2005年 : 堀内恒夫
2006年 ~ 2015年 : 原辰徳(第2次)
2016年 ~:高橋由伸

読売ジャイアンツ川上哲治監督のV9は、永久に破られないであろう不滅の記録

川上哲治氏死す 打撃の神様、巨人V9監督 大往生93歳 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

2016年、日本一3連覇を目指したソフトバンクが、大谷翔平率いる日本ハムに大逆転負けを喫しました。各球団の戦力が均衡してレギュラーシーズンの連覇すら難しい時代です。それだけに、読売ジャイアンツを、日本一9連覇に導いた川上哲治の評価は青天井といっていいでしょう。

川上監督が読売ジャイアンツ監督に就任したのは1961年。1955年以来、読売ジャイアンツは日本一を逃していました。1961年当時で、頼りになる打者は長嶋茂雄一人という状況でした。しかし1962年から、読売ジャイアンツの中軸になるべく王貞治が覚醒。長嶋との強力コンビが進化しました。ただ、このON以外に、読売ジャイアンツにスーパースターは不在。ここで川上監督が目指したのは、今でいうスモールベースボールでした。読売ジャイアンツは、ドジャース戦法を導入します。読売ジャイアンツは、個々の力よりは、チームとしての団結を優先。上位打線は、出塁することに専念し、読売ジャイアンツの中軸へ打順を回す。そしてONが打点を挙げると、投手進含めた鉄壁な守りで、読売ジャイアンツが逃げ切る。こうした読売ジャイアンツの野球は、確実に勝利を積み重ねました。1965年から、読売ジャイアンツの怒涛のV9時代がスタート。そしてこの間、本塁打王と、打点王は王、長嶋の二人が独占します。彼らスーパースター以外のオーダーは、毎年のように有力選手を獲得し、読売ジャイアンツは制覇を続けていきました。V9の前半こそ、いわゆるぶっちぎりの優勝でしたが、後半は読売ジャイアンツとて苦労の優勝でした。1970年は2ゲーム差、1972年は3.5ゲーム差、そしてV9目の1973年は0.5ゲーム差とまさに僅差。それでも、読売ジャイアンツは、特に日本シリーズではその強さが目立ちました。V9期間中、読売ジャイアンツは第7戦までもつれ込むことが一度もありませんでした。2位との差が詰まってきた1970年からの4連覇は、すべて読売ジャイアンツが4勝1敗と、いわば圧勝しての日本一でした。

不滅の読売ジャイアンツの記録にもついに終わりが来ました。しかしV10まではもしかしたら達成できていたかもしれません。というのも、この年読売ジャイアンツは、首位中日とゲーム差なしの2位。勝率の差で優勝を逃した読売ジャイアンツは、大きく二人のスターを失います。一人は打撃不振を克服できなかった長嶋茂雄。そして、読売ジャイアンツを前人未到のV9を達成した川上哲治。そして1975年からは、引退した長嶋が、読売ジャイアンツの監督を引き受けたのであります。

読売ジャイアンツで2度の監督、7度のリーグ優勝の原辰徳氏は名監督の仲間入り

朝日新聞デジタル:日本一になり胴上げされる原監督=金川雄策撮影 - 日本シリーズ優勝 巨人(11/15) - フォトギャラリー - スポーツ

長嶋監督の第1次政権が終わった1980年と同時に、読売ジャイアンツに入団したのが原辰徳。長嶋以来のスーパースターとして、読売ジャイアンツのみならず、球界の大きな期待を背負わされて入団しました。現役生活は読売ジャイアンツ一筋15年で、382本塁打、1,093打点。1,675安打と名球界には届きませんでしたが、素晴らしい成績であることは一目瞭然です。それでも比較されるのが、ONとなれば成績は色褪せてしまうところが、悲しい宿命でした。1995年にユニフォームを脱ぎましたが、2002年、読売ジャイアンツの監督に就任すると、ONをも凌ぐ監督成績を残すことになりました。

勇退した長嶋監督の後を受け、2002年、第14代読売ジャイアンツ監督に就任。戦力的に整っていたチームとはいえ、原監督は読売ジャイアンツに大胆なタクトを振るいました。桑田真澄の先発復帰、清水隆行の1番起用、そして河原純一のクローザー抜擢など。これらはすべてあたり、桑田は最優秀防御率、清水は最多安打とタイトル獲得。河原も28セーブ。読売ジャイアンツは、2位ヤクルトに11ゲーム差をつける優勝。さらに、続く日本シリーズでも、読売ジャイアンツは宿敵だった西武ライオンズを4連勝。原監督は初年度でいきなり日本一を達成しました。しかし、翌2003年、読売ジャイアンツは3位に転落します。不動の4番、松井秀喜がFAによりヤンキースへ移籍。さらに投手陣も不調に陥りました。そして前代未聞の人事異動という名目で、読売ジャイアンツは原監督を特別顧問というポストを与え、堀内監督が誕生しました。

しかし2004年から読売ジャイアンツは低迷。特に2005年には1979年以来の5位に甘んじました。ここで原氏が、読売ジャイアンツの第16代監督に再登板しました。2006年こそ、低迷を脱することなく4位でシーズンを終えるも、翌年から、読売ジャイアンツはV9以来の3連覇を達成。そして2009年、読売ジャイアンツは、原監督が達成した2002年以来の日本一を奪還。2007年はクライマックスシリーズで中日に敗れ、2008年は日本シリーズで西武ライオンズに惜敗した読売ジャイアンツでしたので、悲願の日本一でした。この3年間、原監督は読売ジャイアンツを新しく変えていました。FAにより2007年には小笠原道大を獲得し、当時読売ジャイアンツの絶対的エースの上原浩治を限定でクローザーに抜擢。そして高橋由伸を1番で起用。2008年にはアレックス・ラミレスを獲得、さらに、開幕2戦目から19歳の坂本勇人を起用して、読売ジャイアンツの正遊撃手に成長させました。山口鉄也や松本哲也などの育成選手の積極的起用など、ベテランと若手をうまく融合したタクトが印象的でした。2008年は、一時13ゲーム差をつけられましたが、読売ジャイアンツは9月に12連勝し、奇跡の逆転優勝を成し遂げました。

2010年、2011年と読売ジャイアンツがともに3位と低迷すると、2012年、大補強を敢行。読売ジャイアンツは、村田修一、杉内俊哉という名選手を獲得します。4番には阿部慎之助を起用し、シーズン当初は苦しみながらも徐々に地力を発揮しました。この年、読売ジャイアンツは初の交流戦優勝。夏場以降は、読売ジャイアンツがほぼ独走でセ・リーグ優勝を飾りました。さらに、読売ジャイアンツは、阿部がMVPを獲得する活躍を見せて、日本シリーズも制覇しました。2013年、2014年も原監督は、持ち前の選手起用で読売ジャイアンツを自身2度目の3連覇に導きます。しかし、2013年は楽天にシリーズで敗れ、2014年、読売ジャイアンツはクライマックスシリーズで阪神に4連敗を喫し、日本シリーズへ駒を進めることはできませんでした。それでも原監督が達成した7度のリーグ優勝、そして3度の日本一はともにONを超える偉業。まだ年齢的にも若い原氏においては、第3次政権も可能性は低くありません。

高橋 由伸のプロフィール|読売巨人軍公式サイト
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