阪神タイガースの監督変遷

1936年春 ~ 1936年夏 : 森茂雄
1936年秋 ~ 1939年 : 石本秀一
1940年 ~ 1941年 : 松木謙治郎(第1次)
1942年 ~ 1944年 : 若林忠志(第1次)
1946年 : 藤村富美男(第1次)
1947年 ~ 1949年 : 若林忠志(第2次)
1950年 ~ 1954年 : 松木謙治郎(第2次)
1955年 : 岸一郎
1955年 ~ 1957年 : 藤村富美男(第2次)
1958年 ~ 1959年 : 田中義雄
1960年 ~ 1961年 : 金田正泰(第1次)
1961年 ~ 1965年 : 藤本定義(第1次)
1966年 : 杉下茂
1966年 ~ 1968年 : 藤本定義(第2次)
1969年 ~ : 後藤次男(第1次)
1970年 ~ 1972年4月21日 : 村山実(第1次)
1972年4月22日 ~ 1974年 : 金田正泰(第2次)
1975年 ~ 1977年 : 吉田義男(第1次)
1978年 ~ 後藤次男(第2次)
1979年 ~ 1980年 : ドン・ブレイザー
1980年 ~ 1981年 : 中西太
1982年 ~ 1984年 : 安藤統男
1985年 ~ 1987年 : 吉田義男(第2次)
1988年 ~ 1989年 : 村山実(第2次)
1990年 ~1995年7月23日 : 中村勝広
1995年7月24日 ~ 1996年9月11日 : 藤田平
1996年9月12日 ~ 1996年末 : 柴田猛
1997年 ~ 1998年 : 吉田義男(第3次)
1999年 ~ 2001年 : 野村克也
2002年 ~ 2003年 : 星野仙一
2004年 ~ 2008年 : 岡田彰布
2009年 ~ 2011年 : 真弓明信
2012年 ~ 2015年 : 和田豊
2016年 ~:金本知憲

阪神タイガースを21年ぶりのリーグ優勝、そして初の日本一に導いた吉田義男

 1950年のセ・リーグ設立後、阪神タイガースは低迷が続いていました。阪神タイガースが初優勝を飾ったのは1962年。2年後も優勝しましたが、以後、長らく低迷期間が続きます。

 とはいっても最下位が続いたわけではなく、基本はAクラスにいました。しかし吉田義男の第1次政権時代の最終年、そして翌年と初めて阪神タイガースは連続してBクラスを経験。そんな低迷から抜け出すために、1982年から安藤統男を監督に招聘。5年政権を約束したことから本気度合いが伝わりました。安藤政権で初年度3位となった阪神タイガースでしたが、以後二年連続で4位となると、安藤は監督を辞任します。

 こうして1985年、吉田が二度目の指揮を執ることになりました。すると、前年Bクラスだったチームの快進撃がスタート。4月、この年の強力打線を象徴する「甲子園バックスクリーン三連発」が炸裂して宿敵・巨人を粉砕。開幕ダッシュに成功し、順調に勝ち星を伸ばしました。この頃のチームの特徴は何といっても強力打線。ダイナマイト打線と呼ばれた中枢は、3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布の強力クリーンナップ。1番の真弓明信も含めて、本塁打を量産しリーグ記録を更新。最終的にその数字は219本まで伸びました。結局、バースはチーム史上初の三冠王を獲得。先発で二桁勝利をあげた投手はリッチ・ゲイルと中田良弘の2名だけでしたが、中西清起、福間納らのリリーフが大車輪の活躍。そしてついに21年ぶりのリーグ優勝を果たします。さらに、西武ライオンズとの日本シリーズも4勝2敗で制し、2リーグ制となってから初の日本一も達成しました。

 当然ながら、翌年も吉田はチームの指揮を執りました。バースは相変わらずの絶好調で、2年連続三冠王。しかし他の主力の離脱などもあって、チームは3位に沈みました。さらに翌1987年は、バースも調子を落とし、掛布、岡田も不振が続き、何と最下位に終わります。この年の勝率.331は阪神タイガース史上最低となってしまいました。

星野仙一は、低迷が続く阪神タイガースに大胆な血の入れ替えを敢行して復活優勝

 1985年に日本一を達成した阪神タイガースでしたが、長期にわたる低迷期に入りました。吉田義男、村山実、中村勝広、藤田平、そして野村克也など名だたる人物が監督を歴任しましたが、1986年以降16年間でAクラスはたったの2度。逆に、1998年からの4年連続含む10度の最下位と、まさに暗黒時代でした。

 こんな状況で白羽の矢が立ったのは、闘将・星野仙一でした。かつて中日監督で優勝を経験していた星野は持ち前の熱血指導を実施。すると2002年、開幕7連勝とロケットスタートを果たします。しかし6月に大きく勝率を落とすと、終盤にも失速。結局、星野監督1年目は4位とBクラス脱出は実現できませんでした。すると、星野監督は大胆な血の入れ替え戦略を敢行します。プロの世界、実力が無ければ去らざるを得ませんが、2002年オフ、チームをを去った選手は実に24人。そして、星野監督は自らの人脈も使い、FAで金本知憲を、メジャーからは伊良部秀輝、ジェフ・ウイリアムス、さらにトレードで下柳剛らを入団させます。彼らがチームの主力として実力を発揮すると、生え抜きの中堅や若手たちも大活躍。エース井川慶は20勝、今岡誠は首位打者、赤星憲広は61盗塁で盗塁王などマークして、開幕から圧倒的な強さを発揮しました。7月時点でリーグ首位を独走し、そのまま突っ走り、1985年以来18年ぶりのリーグ優勝を果たします。その後ダイエーとの日本シリーズに臨んだ阪神タイガース、この年に加入した金本が4本塁打と気を吐きましたが、3勝4敗で惜敗。チームとしては2度目、星野監督としては自身初の日本一を逃してしまいました。熱血漢の指導に血の入れ替えで阪神タイガースを変えた星野監督。常勝軍団にするために以後も指揮を振るうと思われましたが、高血圧症を患っており、監督を続けられる状態ではありませんでした。

 シリーズ敗退後、星野は阪神タイガース監督を勇退。当時守備走塁コーチを務めていた岡田彰布氏が監督に昇格しました。

BBCrix編集部

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