阪神タイガースの歴代投手

阪神タイガースの生来のライバルは、読売ジャイアンツ。そしてONそれぞれには阪神タイガースにライバル投手がいました。長嶋茂雄には村山実が、王貞治には江夏豊はそれぞれ大きな壁となりました。あともう一人は、2016年現在セ・リーグで最後に20勝をマークした井川慶。江夏と共にメジャーでは成績を残せなかったが、まぎれもなく阪神タイガースのエースでした。

BBCrix編集部

2代目ミスタータイガースと呼ばれた村山実は、圧巻の投手通算成績をマーク

これがオールタイム猛虎ベストナインだ! | 週刊ベースボールONLINE

阪神タイガース通算14年、509試合、222勝147敗、防御率2.09、2,271奪三振
最多勝2回、最優秀防御率3回、最多奪三振2回、最高勝率1回、沢村賞3回、MVP1回

村山実は、関西大学から阪神電鉄に入社し出向という形で、1958年阪神タイガースに入団します。そして記念すべき初登板は、初代ミスタータイガース藤村富美男の引退試合に設定されたオープン戦。この時点で、次の阪神タイガースを背負う投手が村山だと暗示されていたのかもしれません。そして1959年、阪神タイガース村山の初シーズンがスタート。初先発して2安打完封の満点デビューを飾りましたが、この日阪神タイガースの相手は国鉄スワローズ。前年に、長嶋茂雄デビュー戦で4打席4三振を奪った金田正一との対戦でした。村山は、新人ながら阪神タイガースのエース格として18勝に、防御率1.19をマーク。最優秀防御率のタイトルだけではなく、なんと新人で沢村賞を受賞しました。またこの年は、阪神タイガースと読売ジャイアンツで行われた天覧試合にもリリーフ登板。しかし長嶋にサヨナラアーチを浴びて、さらにライバル意識を高めるきっかけとなりました。

その後も村山は、全身を使って闘志向きだしで投げるザトペック投法で阪神タイガースのエースとして活躍。得意のフォークボールを武器に、20勝以上を5度マークしました。いつしか、二代目ミスタータイガースとも呼ばれ、ライバル長嶋との対決も盛り上がりました。村山は、1,500奪三振、そして2,000奪三振をともに長嶋から奪いました。1962年、そして1964年には阪神タイガースの優勝に貢献。翌年からの2年間は、さらに圧巻でともに沢村賞、最多勝、最多奪三振を独占しました。

1967年から、血行障害で阪神タイガースエースの座を江夏豊に譲ります。それでも1970年には14勝で、防御率は圧巻の0.98を記録。これは戦後唯一の記録です。さらにこの年、通算200勝も達成。大卒選手による200勝達成者は、村山実の他は、2016年の黒田博樹(広島)まで誕生しませんでした。1972年限りで現役引退しましたが、村山が付けていた背番号11は、阪神タイガースの永久欠番に制定。通算防御率2.09というセ・リーグ記録、沢村賞3回獲得は歴代最多タイということからも、さすがの2代目ミスタータイガースでした。

阪神タイガースの奪三振マシン江夏豊は、その後優勝請負人として球界を渡り歩く

江夏豊の持つ「教育者」という本質 | 週刊ベースボールONLINE

阪神タイガース通算9年、159勝113敗、防御率2.42、2,224奪三振
最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、沢村賞1回、MVP1回

阪神タイガース含む日本通算18年、206勝158敗193S、防御率2.49、2,987奪三振
最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手5回、MVP2回、沢村賞1回

大阪学院大学高等学校時代、本格的に野球を始める。甲子園経験はないものの、江夏は注目されるようになり、1966年ドラフト会議を迎えます。阪神タイガース、読売ジャイアンツなど4球団から1位指名をうけ、抽選の結果、阪神タイガースへ入団。すると江夏は1年目から大活躍。阪神タイガースの先発を担い、リーグ最多の225奪三振。しかし当時江夏は剛速球一本。そのため四球も多く、阪神タイガース1年目の成績は12勝13敗に終わりました。

2年目になると、阪神タイガースのコーチ陣の尽力もあり、江夏は前年を上回る成績をマークします。25勝であげて最多勝を掴み、2年目ながら沢村賞にも輝きました。江夏は村山実から阪神タイガースのエースの座を奪います。そしてこの2年目の江夏の成績で特筆すべきは奪三振数でした。その数字は401と現在でも日本プロ野球歴代最高を保っています。しかも、この年、日本記録を抜くときには、ライバルであった王貞治から狙って奪いました。

さらに阪神タイガース江夏豊の名前を、全国区にしたのは1971年のオールスターでした。第1戦の先発だった江夏は、前人未到の9連続奪三振。あまりの凄さに、後続のセ・リーグ投手陣も全パ打線をノーヒットに抑えました。江夏は、自身でもノーヒット・ノーランを達成していますが、通常の達成とは一味違いました。まず延長戦での達成だったということと、そして勝負を決める得点は江夏自らが放ったサヨナラホームランだったということ。もはや、江夏人気は阪神タイガースのみならず、リーグを代表するものとなっていました。

阪神タイガースで通算150勝をマークした江夏は、1976年まさかのトレードで南海ホークスに移籍します。阪神タイガースでは先発していた江夏でしたが、野村克也監督に説き伏せられ、リリーフ投手として生きることを選択。こうして阪神タイガースのエースだった江夏は、リリーフのパイオニアとなりました。南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩き、優勝請負人として活躍しました。江夏は阪神タイガース在籍で159勝をマークしましたが、以降9年間で179セーブを積み上げました。

1985年、江夏は日本での野球生活を終えて、36歳でメジャーリーグに挑戦。あと一歩で開幕メンバー入りかと思われましたが、マイナー契約を打診されます。年齢がネックとなり、メジャーマウンドを踏むことはできませんでした。失意のまま現役を完全に退きましたが、この年は阪神タイガースが21年ぶりの優勝を達成した記念すべき年でした。

2000年以降、阪神タイガース2度の優勝時のエースは5年連続開幕投手の井川慶

井川 阪神で86勝60敗、沢村賞も/略歴 - プロ野球ニュース : nikkansports.com

阪神タイガース通算8年、86勝60敗1S、防御率3.21、1,174奪三振
最多勝1回、最優秀防御率1回、最多奪三振3回、沢村賞1回、MVP1回

阪神タイガース含む日本球界通算11年、93勝72敗1S、防御率3.21、1,279奪三振
最多勝1回、最優秀防御率1回、最多奪三振3回、沢村賞1回、MVP1回

水戸商時代、甲子園経験はなかった井川でしたが、東のドクターKとしてすでに名を馳せていました。1997年、ドラフト2位で阪神タイガースから指名され入団。プロ入り4年後に、ようやく阪神タイガースで一軍定着します。2001年、井川は阪神タイガースの先発ローテーションに入り、9勝、防御率2.67をマーク。

2002年、阪神タイガースの監督に星野仙一氏が就任すると、井川は初めて、阪神タイガースの開幕投手を任されます。すると初の二けた14勝をマークしただけでなく、最多奪三振のタイトルを奪取。久しぶりに阪神タイガースに現れたエース格となりました。そして翌2003年に、井川はさらに覚醒。20勝を挙げて、阪神タイガース久しぶりの優勝の原動力となりました。この年の井川はシーズンで5敗であり、一人で阪神タイガースに貯金15をもたらしました。翌年以降も二けた勝利を続け、阪神タイガースの先発主軸を担いました。10月にはノーヒット・ノーランも達成。2005年、13勝9敗と2003年よりは成績を落としたものの、阪神タイガースのリーグ優勝に貢献。2006年にも井川は5年連続で開幕投手を務めました。阪神タイガースの長い歴史の中でも、5年連続は最長記録です。そして阪神タイガースのエースとして5年連続の二けた勝利に、3度目の最多奪三振もマーク。そしてシーズンオフ、毎年希望を出していたポスティングによるメジャー挑戦を実現化。ニューヨーク・ヤンキースが独占交渉権を獲得し、阪神タイガースからエースが巣立っていきました。

しかし以後、井川が阪神タイガース時代同様に輝くことはありません。ヤンキースでは2年間で16試合登板のみに終わり2勝で、日本球界に復帰します。井川の新しいチームは、古巣の阪神タイガースではなく、オリックスでした。ここでも、かつての活躍は全く見られませんでした。2015年はオール二軍暮らしとなり、ついに元阪神タイガースのエースには戦力外通告が下されました。

阪神、幻の優勝 〜昭和48年の挽歌〜
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