山根俊英の監督としての活躍について

日本でプロ選手として、そして指導者としても活躍した山根俊英ですが、誰しもが名を知る人ではありません。しかし海の向こう、台湾では2チームの監督に携わりともに優勝に導きました。高齢ながら海を渡り、台湾野球の発展にも大きく寄与し、偉大なる野球人として大いに尊敬されています。

BBCrix編集部

山根俊英の監督・コーチ歴について

山根俊英の指導者歴

1968年 山根俊英:サンケイアトムズ一軍投手コーチ
1969年 山根俊英:アトムズ一軍投手コーチ
1972年 山根俊英:東映フライヤーズ一軍投手コーチ
1973年 山根俊英:日拓ホームフライヤーズ一軍投手コーチ
1974年 山根俊英:日本ハムファイターズ一軍投手コーチ
1977年 山根俊英:ロッテオリオンズ一軍投手コーチ
1978年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ一軍投手コーチ
1979年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ一軍投手コーチ
1980年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ一軍投手コーチ
1981年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ一軍投手コーチ
1982年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ二軍監督
1983年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ二軍監督
1984年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ二軍監督
1988年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ二軍チーフコーチ
1989年 山根俊英:横浜大洋ホエールズ二軍チーフコーチ
1992年 山根俊英:兄弟エレファンツ投手コーチ
1993年 山根俊英:兄弟エレファンツ監督
1994年 山根俊英:兄弟エレファンツ監督
1995年 山根俊英:兄弟エレファンツ監督
1997年 山根俊英:高屏生活雷公監督
1998年 山根俊英:高屏生活雷公監督
1999年 山根俊英:高屏生活雷公監督

山根俊英の監督成績

日本球界通算0年 Aクラス0回(代行監督のため、回数に含めず)
1981年 横浜大洋ホエールズ 山根俊英 14試合4勝9敗1分 勝率.307 
(土井淳監督の休養後、監督代行となる)

1993年 兄弟エレファンツ 山根俊英 52勝36敗2分
1994年 兄弟エレファンツ 山根俊英 64勝24敗2分
1995年 兄弟エレファンツ 山根俊英
1997年 高屏生活雷公 山根俊英
1998年 高屏生活雷公 山根俊英 リーグ優勝
1999年 高屏生活雷公 山根俊英

山根俊英の日本監督代行成績はふるわなかったが、海を渡り台湾で魔術師と称された

山根俊英は、鳥取一中(現・鳥取西高校)を経て鳥取農林専門学校へ進学。アンダースローの快速球投手だった山根俊英は、全国専門学校野球大会で準優勝し名を馳せました。この時、山根俊英が敗れた相手は、後のチームメイトとなる荒巻淳でした。その後、社会人を経て、山根俊英は、創設された毎日オリオンズに入団。山根俊英は2年目から頭角を現すと、3年目にはキャリアハイの42試合に登板して12勝をマークしました。一方、山根俊英のライバル荒巻は、ルーキーイヤーから26勝、防御率2.06で最多勝に最優秀防御率の2冠を獲得。その後も通算30勝に終わった山根俊英とは対照的に173勝を積み上げました。

山根俊英の現役生活は、1958年までの通算8年で終わりましたが、その後それを上回る指導者人生がスタートします。引退から10年後の1968年から、山根俊英は投手コーチとして様々な球団を渡り歩いていきます。1968年から2年間はサンケイアトムズ、1972年からは東映・日拓・日本ハム、1977年にはロッテ、1978年からは大洋ホエールズ。さらに、1981年には、大洋・土井淳監督の休養後、山根俊英は代行監督として14試合指揮を執りました。その翌年は、大洋の二軍監督に就任し、イースタン・リーグを優勝に導きました。さらに1988年からの2年間は、大洋の二軍チーフコーチを務めましたが、これが日本球界における最後の現場となりました。

山根俊英はさらなる自身のキャリアに、日本を離れ台湾を選択しました。1992年64歳の年から、山根俊英は兄弟エレファンツの投手コーチに就任。チームは、その時点で優勝経験がありませんでしたが、山根俊英は日本での経験を生かしました。するといきなり前後期優勝を実現し、初の年間王者を獲得。この実績が評価され、翌年からは兄弟エレファンツの監督を務めることになりました。山根俊英の快進撃はとまらず、1993年、1994年と連続優勝でチーム3連覇を達成。その辣腕ぶりは、山根魔術と称され、2年連続で最優秀監督に選出されました。

1997年からは台湾職業棒球大聯盟・高屏生活雷公の初代監督に就任。兄弟エレファンツ時代も主力として捕手を務めた洪一中も、高屏生活雷公に移籍。ここでも山根俊英は2年目に見事リーグ優勝を実現しました。1999年で監督は退き、山根俊英はチームスポンサーの終身顧問に就任。台湾職業棒球大聯盟は、西武ライオンズとの関係性が強く渡辺久信や石井丈裕らが選手兼コーチとしてもプレー。さらには許銘傑や張誌家も西武でプレーしています。しかし、彼らよりも山根俊英の名前は、台湾で知られています。2009年に山根俊英が81歳にて死去した際も、日本よりも台湾のほうが話題や記事になったというくらいです。現時点において、野球チャイニーズタイペイ代表が、JAPANチームを苦しめているわけではありません。しかし近い将来、山根俊英に教えを請うた選手、もしくは指導者がさらに選手を育てJAPANチームの前に立ちはだかるかもしれません。

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