近藤昭仁の監督としての活躍について

小柄ながらもプロ入りした近藤昭仁は、ルーキーイヤーにいきなり球団初優勝、日本一に大いに貢献。その後、近藤昭仁は機動力を武器に長らくレギュラーとして君臨し、指導者としても活躍。しかし監督時代の戦績はほろ苦く、5年間で3度の最下位を経験。ロッテ時代は悪夢の18連敗を喫するなど散々な経験をする羽目となりました。

BBCrix編集部

近藤昭仁の監督・コーチ歴について

近藤昭仁の指導者歴

1974年 近藤昭仁:大洋ホエールズ一軍守備コーチ
1975年 近藤昭仁:大洋ホエールズ一軍守備コーチ
1976年 近藤昭仁:大洋ホエールズ一軍守備コーチ
1977年 近藤昭仁:大洋ホエールズ一軍守備コーチ
1978年 近藤昭仁:横浜大洋ホエールズ二軍守備・走塁コーチ
1979年 近藤昭仁:ヤクルトスワローズ一軍守備・走塁コーチ
1980年 近藤昭仁:ヤクルトスワローズ一軍守備・走塁コーチ
1981年 近藤昭仁:ヤクルトスワローズ一軍守備・走塁コーチ
1982年 近藤昭仁:西武ライオンズ一軍守備・走塁コーチ
1983年 近藤昭仁:西武ライオンズ一軍守備・走塁コーチ
1984年 近藤昭仁:西武ライオンズ一軍守備・走塁コーチ
1985年 近藤昭仁:西武ライオンズ一軍守備・走塁コーチ
1986年 近藤昭仁:西武ライオンズ一軍守備・走塁コーチ
1989年 近藤昭仁:読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ
1990年 近藤昭仁:読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ
1991年 近藤昭仁:読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ
1993年 近藤昭仁:横浜ベイスターズ一軍監督
1994年 近藤昭仁:横浜ベイスターズ一軍監督
1995年 近藤昭仁:横浜ベイスターズ一軍監督
1997年 近藤昭仁:千葉ロッテマリーンズ一軍監督
1998年 近藤昭仁:千葉ロッテマリーンズ一軍監督
2006年 近藤昭仁:読売ジャイアンツ一軍ヘッドコーチ


近藤昭仁の監督成績

通算5年 Aクラス0回
1993年 横浜ベイスターズ 近藤昭仁 130試合57勝73敗0分 勝率.438 5位
1994年 横浜ベイスターズ 近藤昭仁 130試合61勝69敗0分 勝率.469 6位
1995年 横浜ベイスターズ 近藤昭仁 130試合66勝64敗0分 勝率.508 4位
1997年 千葉ロッテマリーンズ 近藤昭仁 135試合57勝76敗2分 勝率.429 6位
1998年 千葉ロッテマリーンズ 近藤昭仁 135試合61勝71敗3分 勝率.462 6位

近藤昭仁は、監督就任2チームとも再建が期待されたが、まさかの両リーグ最下位を経験

近藤昭仁 - DrillSpin データベース

高松一高から早稲田大学へ進学した近藤昭仁は、在学中に2度優勝を経験しました。二塁手としてベストナインを獲得した近藤昭仁は、全日本大学野球選手権でも優勝。この実績を引っさげて、近藤昭仁は1960年大洋ホエールズに入団しました。当時の大洋は、6年連続最下位という超暗黒時代。しかしこの年、名将三原脩が監督に着任していました。三原は、弱小球団を率いると、一気に優勝争いを演じます。近藤昭仁も三原監督にルーキーながらレギュラーに抜擢されました。三原監督は、近藤昭仁の堅実な守備力と機動力を買っての起用でした。三原監督いわく超二流選手たちが活躍し、大洋は球団創設初優勝。さらに続く日本シリーズでも、エース秋山が4連投で4連勝と、前年最下位から日本一へ一気に駆け上がりました。シリーズで、近藤昭仁は4試合で3安打に終わりましたが、第3戦で決勝ホームラン、第4戦でも先制タイムリーを放ち、ルーキーながらMVPを獲得しました。その後も長らくの間、近藤昭仁は大洋のレギュラー内野手を務めました。近藤昭仁の239犠打はいまだに球団記録であり、兼任コーチとなった1974年に現役を引退しました。

その後、近藤昭仁は15年にわたり古巣の大洋、ヤクルト、西武、巨人とコーチを歴任。そのほとんどが守備・走塁コーチでしたが、巨人ではヘッドコーチの役割をこなしていました。古巣の大洋が、球団名を横浜ベイスターズに改称した1993年から、近藤昭仁は初代一軍監督に就任しました。ところが、近藤昭仁は4月に、5連敗を2度記録するなど最悪のスタート。5月、6月と勝ち越して立て直しましたが、7月以降すべて負け越して57勝73敗の5位でシーズンが終了。

翌年へ向けて一丸となるところで、球団に衝撃が走りました。この年から始まったFA制度で巨人・駒田徳広を獲得するため、近藤昭仁は生え抜きの主力選手たちを解雇しました。高木豊、屋鋪要、大門和彦、市川和正らがチームを去り、近藤昭仁は佐伯貴弘や波留敏夫、進藤達哉、石井琢朗らの若手を積極に起用。この年は、リーグの戦力差が少なく、横浜も61勝69敗の借金7で2年目のシーズンが終了。数字的にはまずまずであり、543得点、538失点と得失点差で上回ったにもかかわらず、最下位になるという史上初の記録を作ってしまいました。3年目の1995年、近藤昭仁は3番に若手の鈴木尚典を抜擢。ローズ、波留、石井が打率10傑に入る働きを見せて、チーム打率はリーグ2位。先発陣を早めに降板させて、中継ぎの島田直也につなぐ方式を多用し、12年ぶりの勝率5割越えを達成しました。それでも順位は4位に終わり、3年連続Bクラスとなりその年で監督を辞任しました。

1997年から、近藤昭仁は千葉ロッテマリーンズの監督に就任。当時のロッテはチーム状況としては芳しくなく、再建を期待されての3年契約でした。前年まで大黒柱だった伊良部秀輝、エリック・ヒルマンという二人の大投手の不在は大きいものでした。小宮山悟が復活の最優秀防御率、黒木知宏が初の二桁勝利、小坂誠が新人王となりましたが投打の戦力不足で、いきなり最下位に終わりました。飯田徳治、別当薫、根本陸夫に次いで、近藤昭仁は史上4人目の両リーグ最下位監督という好ましくない記録を作りましたが、さらに翌年それに拍車がかかる記録を生み出してしまいます。1998年、近藤昭仁は6月中旬から悪夢の18連敗を喫し、借金が20にも膨れ上がりました。ここから盛り返して最終的には61勝71敗3分とするものの、順位は2年連続で最下位に終わります。しかもこの年のロッテは打率リーグトップ、防御率2位と数字上は素晴らしいものでした。581得点に563失点と、横浜時代に引き続き、得失点差で上回りながらの最下位を2度も経験することになってしまいました。契約期間はまだ1年残っていましたが、近藤昭仁はこの年で監督を辞任。以後しばらく、現場から遠ざかっていましたが、2006年巨人のヘッドコーチとして復帰しました。

近藤昭仁 | アサ芸プラス
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