牛島和彦の監督としての活躍について

浪商高時代ドカベンこと香川伸行とバッテリーを組んで、一気にスターとなった牛島和彦。リリーフとして中日、ロッテと両リーグでタイトルを奪取し、牛島和彦は中日時代、優勝にも貢献しました。2005年、指導者経験ゼロで牛島和彦は横浜ベイスターズの監督を務めると、いきなりAクラス入りを実現。新監督ながら素晴らしいタクトを見せてくれましたが、戦力不足は否めず、牛島和彦は翌年最下位を経験しました

BBCrix編集部

牛島和彦の監督・コーチ歴について

牛島和彦の指導者歴

2005年 牛島和彦:横浜ベイスターズ一軍監督
2006年 牛島和彦:横浜ベイスターズ一軍監督

牛島和彦の監督成績

通算2年 Aクラス1回
2005年 横浜ベイスターズ 牛島和彦 146試合69勝70敗7分 勝率.496 3位
(交流戦6位)
2006年 横浜ベイスターズ 牛島和彦 146試合58勝84敗4分 勝率.408 6位
(交流戦10位)

指導者経験ゼロの新人監督だった牛島和彦は、いきなり横浜のAクラス入りを実現

牛島和彦さん 見て和む画像壁紙集 | まとめアットウィキ

牛島和彦は、浪商高校でドカベンこと香川伸行とバッテリーを組んで、3度の甲子園に出場し、3年春には全国準優勝。そして牛島和彦は1979年ドラフト1位で相思相愛だった中日に指名され入団します。3年目に牛島和彦はチームのリリーフエースとなり、優勝に大きく貢献しました。1984年に初のセーブ王となった牛島和彦でしたが、1986年オフ、落合博満との世紀の1対4トレードによりロッテに移籍。移籍後も、フォークボールを武器に牛島和彦は2年連続のセーブ王と、江夏豊に続く両リーグでの同タイトル奪取を実現しました。1989年、先発に転向した牛島和彦はキャリアハイの12勝をマーク。しかしその後は肩の怪我に苦しむこととなりました。懸命なリハビリで、牛島和彦は1992年に復活し3年ぶりの勝利投手となりましたが、2年で5勝にとどまり、1993年ユニフォームを脱ぎました。

引退後の牛島和彦は、コーチなどの指導者になるわけではなく、野球解説者として過ごしていました。そんな牛島和彦は急転、2005年から横浜ベイスターズの監督に就任することになりました。それまで指導者経験が無い牛島和彦でしたが、再び暗黒時代に逆戻りしていた横浜が命運を託した形となりました。牛島和彦の就任前までは、切り札ともくろんでいた山下大輔監督が就任していましたが、2年とも最下位に終わり1998年優勝の面影は完全に消えていました。

新人監督の船出でしたが、牛島和彦にとって不運だったことは、2年連続で本塁打王に輝いていた主砲タイロン・ウッズがオフに中日に移籍し、4番を失っての監督就任だったことです。そして牛島和彦に対する期待は、投手陣の再建でもありました。2004年の横浜は先発が総崩れで勝ち頭ですら7勝という出来でした。抑えの佐々木主浩も前年復帰していましたが、往年の働きとは行かず、先発抑えの両方を経験した牛島和彦の手腕に頼るところが大きかったのです。こうして牛島和彦は監督として初のシーズンがスタート。牛島和彦は4月を借金3で乗り切りましたが、佐々木が3度のサヨナラ負けと怪我の影響を克服できないまま、二軍落ちとなりました。しかし、5月以降、多村仁、村田修一、金城龍彦ら打撃陣が奮起し、牛島和彦は2ヶ月連続で勝ち越し。交流戦でも6位と、牛島和彦はリーグ順位を踏みとどめます。佐々木離脱後、牛島和彦は新加入のマーク・クルーンを抑えに抜擢すると完全に一本化。そもそもクルーン獲得時も、コントロールに難があることはわかっていましたが、牛島和彦自ら、癖の矯正は可能と太鼓判を押した選手でした。入団後、牛島和彦の指導で、クルーンは日本最速投手(当時)となり、佐々木からクローザーの座を奪い取りました。また前年不調だった先発投手陣も、牛島和彦の期待にこたえて見事に復活。三浦大輔は、12勝で最高勝率、門倉健が11勝、土肥義弘も10勝と、牛島和彦は3人もの二桁勝利投手が誕生させていました。牛島和彦の1年目は、チーム防御率を約1点近く向上させ、リーグ2位。5名もの二桁本塁打を出した打線もかみ合い、牛島和彦は69勝70敗7分でAクラス3位となりました。

牛島和彦の2年目には、さらに大きな期待がかけられましたが、球団による戦力アップはさほどありませんでした。前年、復活した先発投手陣も揃って不調となり、牛島和彦は開幕ダッシュに失敗。先発が早い回にマウンド降りるため、救援投手の出番が増えていきます。牛島和彦が結成したクアトロKと呼ばれた4名の救援投手(木塚敦志・川村丈夫・加藤武治・マーク・クルーン)も全員が調子を持続できないため4月5月で、牛島和彦は借金17を背負い最下位に転落していました。交流戦に入ると、4番田村が故障して戦線離脱。田村の後釜に4番に座った佐伯貴弘も不振に陥りました。牛島和彦は、4番に村田を起用すると、そのままシーズン終了までその座を守り、初めて30本塁打を放ってくれましたが、チーム全体を救うまでとはいきません。牛島和彦は6月に2度の6連勝と初めて勝ち越しましたが、その後は負け数がかさんでいきます。8月以降、借金を増やし続けた牛島和彦は、2年目のシーズンを58勝84敗4分の勝率.408に終わり、最下位となってしまいました。

前年2位だったチーム防御率は最下位、牛島和彦頼みの打線も、前年同様5位でした。それでも牛島和彦が起用し続けた村田が独り立ちし、吉村裕基も覚醒の26本塁打と随所に光るものを見せてくれました。球団は、牛島和彦に続投要請しました。しかし牛島和彦の意志は固く、最下位の責任を取って辞任することになりました。せめてもう少し戦力を整えた上で、牛島和彦に再度監督を務めてもらうと、違った結果を導き出してくれるかもしれません。

牛島和彦投手に関するQ&A - Yahoo!知恵袋
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