”和製リベラ”桑原謙太朗は3球団目の阪神で遂に開花するか?

2017年シーズン前半戦好調の阪神タイガースで、”勝利の方程式”の一角として支えている桑原謙太朗。金本監督に見出され、自己最高の成績を残しているが、これまでの彼の球歴はお世辞にも素晴らしいものではなかった。這い上がって今のポジションを掴み取るまでの彼の人生を振り返ってみたい。

BBCrix編集部

完全試合を達成した桑原謙太朗!そして「ある1球」との出会い!

三重県に生まれた桑原謙太朗は、地元の津田学園高校へ進学し、1年秋から控え投手としてベンチ登録。3年春にエースの座をつかむものの、春夏ともに甲子園の出場を果たせなかった。

しかし進学した奈良産業大学で進化を遂げる。1年秋からベンチ登録され、4年春の近畿学生野球のリーグ戦では、完全試合を達成した。同リーグでは史上3人目の快挙だった。

在学中には、リーグ戦通算47試合に登板し驚異の26勝2敗、防御率1.38で255奪三振を記録。最優秀選手1回、最優秀投手1回、敢闘賞1回、投手部門のベストナイン3回を受賞という輝かしい実績を引っ提げて、プロ野球の世界に飛び込むことになる桑原謙太朗。

この大学時代、のちの桑原謙太朗にとって重要になる「ある1球」との出会いがあった。

ベイスターズ若手の星としての期待から一転・・・

2007年のドラフト会議で、横浜ベイスターズから3巡目で指名された桑原謙太朗。
2008シーズン開幕直後の4月6日に、広島戦の8回裏に4番手投手として一軍デビューを飾る。

それ以降も、中継ぎでの一軍公式戦での登板を重ね、7月9日のヤクルト戦で、同点の4回裏からの救援登板で2回を無失点に抑えると、チームが勝ち越し一軍初勝利を記録した。

8月16日の阪神戦では、初先発ながら150球を投げ初完投・初完封勝利。シーズン全体では30試合に登板の出場機会が与えられ、うち10回が先発登板だった。投手陣に課題が残るベイスターズにあって、若手の注目株として将来が期待されたまま1年目のシーズンを終えた。

2009年は、オープン戦期間中に故障してしまい、シーズン全体では11試合にしか登板できず消化不良となり、1年目の功績が過去のものとなってしまう。2010年も、主に中継ぎで18試合に登板するも、防御率が6点台と振るわず、シーズンオフにオリックスにトレードに出されるという憂き目にあった桑原謙太朗。新天地で再起なるかが注目された。

地元・近畿で再起なるか? オリックスへのトレード

オリックスに移籍した桑原謙太朗であるが、1対2の交換トレードにおいて横浜から出された2人のうちの1人であった。つまり「一人前」としての扱いを事実上受けていないことがわかる。

予想通りオリックスでは、1軍での出場機会をほとんど与えてもらえず在籍した2011年からの4年間で34イニングを投げただけ。再起とは程遠い生活。

そこに大きなニュースがオリックスに飛び込む。エース金子千尋が国内FA権を獲得し、他球団への移籍、さらにはポスティング・システムを利用しての大リーグ移籍も視野に入れているというものだった。そのため、他球団で先発できる能力のある投手をリストアップし、補強を急いでいた。

オリックスでの実績がない桑原謙太朗が、金子の代わりに先発陣に食い込ませてもらえるわけもなく、それどころか新入団選手のトレード要因として名前が上がったのだった。

またしてもトレードに出されることとなった桑原謙太朗。しかし今までのトレードとは少し状況が違った。桑原謙太朗にチャンスが訪れたのである。

ビッグネームの後釜としてのトレード!人気球団、阪神へ

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初の開幕1軍を果たすも・・・

2015年、2度目のトレードに出された桑原謙太朗は阪神タイガースに移籍することになる。阪神が桑原を欲しがった理由は、当時、救援陣の主力右腕であった安藤が、次のシーズンで38歳、福原が39歳になる状況があり、後釜を探していたのだ。

ビッグネームのあとを託される。これは今までにないことだった。桑原の期待通り、プロ入り後初めて開幕を1軍で迎えたのだ。開幕戦でも登板を果たし上々のスタートを切ったかに見えた。

しかし、その期待とは裏腹に、開幕3カード(9試合)で4試合に中継ぎとして起用されるも、無失点で凌いだのは1試合のみ。4月3日にあえなく出場選手登録を抹消されてしまう。課題の制球難が克服されていなかったのだ。

最初に付いてしまったイメージはなかなか変えられないのは世の常である。その後1軍登板は2016年シーズン終了まで1度もなく、せっかく巡ってきたチャンスを潰したかに見えた。

しかし、桑原謙太朗を救ったのは、大学時代に出会った「ある1球」だった。

桑原謙太朗を救った大学時代の「ある1球」とは?

ニュース - チーム - 球団選定3・4月度月間最優秀選手に桑原謙太朗選手|阪神タイガース 公式サイト

2017年阪神の監督は就任2年目の金本知憲。実は現役時代に、桑原謙太朗と対戦した経験がある。その時金本は4打数2安打と桑原謙太朗を打っているのだが、その試合は金本の通算2000試合出場達成の試合であり、また桑原謙太朗が初先発・初完封勝利を飾った日でもあった。

両者にとって思い出深いあの日の記憶。その対戦時にも、おそらく披露している桑原謙太朗の「伝家の宝刀」がある。それは150キロ近いスピードがありながらも、左打者のインコースに急激に食い込む「真っスラ」である。

このボールが実は、桑原謙太朗が大学時代に偶然生み出した魔球なのだ。「大学の時にきれいなストレートを投げたかったけど、うまく投げられなかった」。糸を引くような直球を投げたい一心で試行錯誤を続ける中、たまたま投じた1球が指にかかり鋭く曲がった。それが真っスラだった。

金本監督が、桑原と対戦したときの球筋を覚えているかは定かではないが、監督としてブルペンで見たそのボールは、メジャーリーグ史上最多の652セーブを挙げた元ニューヨーク・ヤンキースの守護神マリアノ・リベラのようだった、とのちに金本監督が称している。

「真っスラ」を武器に、勝利の方程式「MAKD」の一角に!

金本監督に認められた「真っスラ」を武器に、オープン戦で結果を残した桑原謙太朗は開幕1軍入りを果たす。

4月5日のヤクルト戦では、オリックス時代の本拠地であった京セラドームで、阪神では中継ぎで7回途中から登板し、3人を7球で仕留めて見せた。その後、味方打線が勝ち越し阪神での一軍公式戦初勝利を挙げた。桑原にとっては、2球団前の横浜に在籍していた2010年4月4日に同じヤクルト戦で記録して以来、7年(2558日)ぶりの勝利でもあった。「抑えられたことが一番」と桑原謙太朗は控えめに喜びを表現した。

初勝利からその後、5月24日の巨人戦で失点するまで、16試合連続無失点を記録し、勝利の方程式の一角に割り込んでいる。マテオ(M)、高橋聡文(あきふみの「A」)、桑原謙太朗(K)、ドリス(D)の4人で形成する方程式の通称は「MAKD(マクド)」。

阪神が優勝した2005年のJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)と並び称され、金本監督が絶対の信頼を寄せる勝利の方程式。そこに、苦労人・桑原謙太朗の名前がある。

2017年6月17日現在、1年目の自己最多登板試合数を上回る31試合に登板し、防御率0.91と驚異の数字をたたき出している。「真っスラ」が冴えわたり、奪三振率は11.22。中継ぎであるが故に、規定投球回数には達しないものの、リーグトップの同僚メッセンジャーよりも上の数字である。

大事な場面で起用され続けている今、桑原謙太朗は誰よりも意気に感じてマウンドに上がっているはずだ。夏場に向けて心身ともに疲労の蓄積が懸念され、また他球団の分析も進む。そこを乗り越えたときに初めて、桑原謙太朗が「本物」だと言わせてもらおう。

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