甲子園で全国制覇!

愛甲猛は、神奈川県に生まれ小学生の時に野球を始める。中学生になると身体能力には目を見張るものがあり、バレーボールやバスケットボール、水泳でもスカウトが来るほどだった。また愛甲猛は、中学時代から「不良の道」に進み始めタバコ、シンナー、万引きなどもやっていたという。かなりの悪童だったようだ。

しかしながら愛甲猛は、地元横浜高校に進学し野球の道からはそれることなく進んでいた。横浜高校では1年時から左のエースとして活躍し、3年時には甲子園の決勝で、愛甲猛以上の人気者でアイドルだった早稲田実業の荒木大輔を破り、横浜高校は全国制覇を成し遂げる。その中心にいたのが愛甲猛である。

“悲劇のアイドル”愛甲猛

中学、高校時代に愛甲猛は人気者になり、少し勘違いしたところがあったのか、いわゆるワルの道にも走っていた。

先に挙げたもの以外にも暴走族とつるみ、また女性関係も派手だったようである。人気者であるから女性が寄ってくるのは理解できる。しかしまだ10代の愛甲猛に自分をコントロール術は身についてはいなかった。

甲子園での優勝後には、まさにスター状態。誰も愛甲猛を止められず、また周りの大人もこの少年を正しい道に進ませることができなかったのではないだろうか。愛甲猛いわく「優勝パレードの翌日にスナックで酒を飲んでたら、知り合いの社長が来て、一緒にソープに行った。あの時は待合室にお姉さんたちが集まって、サイン会になった」と明かしている。

さらに愛甲猛の「伝説」は続き、なんと暴行事件が発覚。愛甲猛はチームメイトや関係者らに謝罪することになったが、横浜高校はこの一件が原因で対外試合禁止処分を受け、後輩たちは春の大会に出場できなくなるという悲惨な目に遭わせてしまった。

当時の野球の練習の様子などを聞いていても、現代では考えられないような状況が目に浮かぶ。「1年生はゴミ、2年生は人間、3年生は神様」という上下関係などもあり、高校という教育機関が、教育できていなかった様子も浮き彫りになった。

愛甲猛は、そういう意味では悲劇のアイドルなのかもしれない。

ドラフトでも大物発言で物議を醸す

ワルの道と同様、野球の道でもしっかり結果を残した愛甲猛は、高校卒業後プロの世界に足を踏み入れることになるが、ドラフトでもひと悶着あった。

愛甲猛は、地元である横浜大洋ホエールズか西武ライオンズへの入団を希望していたが、意中ではないロッテオリオンズから1位指名を受けたのである。ドラフト後の記者会見で「ロッテにはいきたくありません」と発言。物議を醸した。

さらには、ドラフト前に社会人野球のプリンスホテルや西武の関係者と接触を持っていたことが判明。会うたびに毎回10万円の小遣いをもらったり、ソープなどの大人の接待も受けたというのだ。結果的に、第1希望の大洋から指名されず、4000万という支度金を積んでいたプリンスホテルにも進まずロッテに進んだが、ロッテ関係者が挨拶に来た日には、女性との先約があったとのことですっぽかしたという逸話もある。

それでも指名したからには、入団させないわけにはいかないロッテは愛甲猛と契約。波乱のドラフト会議前後であった。

落合博満のアドバイスで打者転向!

ロッテに入団した愛甲猛は、投手として大きな期待を背負っていたわけだが、鳴かず飛ばず。1年目のキャンプで、一緒にブルペンで投げた村田兆治の球を見て、プロでは通用しないと悟ったという。実際、1年目に先発2試合を含む8試合に登板するも、防御率10点台と散々。

3年目には中継ぎとして48試合に登板を果たすも防御率4点台と、年々良化させたもののぱっとせず。3年間投手として投げるも未勝利に終わり打者へと転向することになったのだ。

その打者転向の裏には、三冠王を獲得し、ロッテの中心打者であった落合博満の勧めがあったからだという。「責任とってくださいよ」と愛甲猛は言ったそうだが、結果的にはこれが的中。プロ生活が延びたのである。

落合博満に打者として弟子入りした愛甲猛は、「基礎というものを徹底的に叩き込まれた」というようにめきめき成長。転向2年目には、打数は59打数と少ないものの18安打を放ち、打率3割をマーク。打者転向5年目の1988年には全試合に出場するレギュラーに。リーグ最多二塁打を放つなど「落合効果」をその後発揮し続けた。

そして1988年6月から1992年7月11日にかけて535試合連続フルイニング出場のパ・リーグ記録を樹立。しかし、その7月11日に1試合5三振という日本タイ記録に並び、翌日はスタメンからはずれてしまった。

1995年、シーズン序盤から不調に陥り、徐々に出場機会が減っていき46試合の出場にとどまり、シーズンオフに中日にトレード。2000年まで、主に代打の切り札として現役を続け、引退することとなった。

子どもたちに良い夢を与えてほしい愛甲猛

プロ野球引退後は、飲食店経営やサラリーマンなど職を転々とし、2006年には化粧品、サプリメントの企画会社を経営。野球関連でも、コラム執筆や試合解説も行っていた。

そして先のテレビ番組の出演があったわけだが、そこで愛甲猛は、現役時代に「筋肉増強剤」を服用したことを告白。当時日本プロ野球球界では禁止規定がなかったためお咎めなしだったが、その影響で生死をさまようことになったという。

成績が下降し始めたロッテ最終年から服用し始め、中日で引退するまで続けたというが、現役引退からわずか1か月後に、愛甲猛は足に違和感をおぼえた。その足は大きく腫れ上がっていた。さらには胸の痛みにも襲われたため病院で検査を受けると「閉塞性動脈硬化症」と診断。

なんと絶対安静が必要な形での入院。一つ間違えれば命はなかったという。服用した時点で間違えてはいるのだが、「自分へのもどかしさから、そこに手を出してしまった。何かで変化をもたらして、何とかしたいっていうのが本当のところで、その選択肢を僕は間違えた」と愛甲猛はいう。

さらにこう続ける。「そんなに悪い物ではないっていう認識だった。だけど、筋肉はでっかくなるけど体には害だったっというもの。絶対にやるべきではない」と悪影響を指摘。

中日へ移籍後は、増強剤の効果で好成績を残すようになったが、「クスリの作用で大きくなった上半身を支える下半身へ負担が大きくなり、現役引退を早めることになった」と説明。落合博満によって延ばしてもらった選手寿命を、自らの手で縮めたということになる。

愛甲猛は現在、バッティングセンターで子供たちに野球指導を行っているというが、自身の経験を生かし、しっかり子どもたちへの教育をしてもらいたい。「この子たちが甲子園で活躍してくれて、解説できるのが夢」と語る愛甲猛。

悪い夢も、良い夢も見てきた愛甲猛が、これから果たしていく役割、責任は非常に大きい。

BBCrix編集部

著者プロフィール BBCrix編集部