11月も終わりとなると、プロ野球のネタがどうしても移籍のことや、年俸交渉のことなどで紙面を賑わす。特にこの年末年始にかけては、日本国内だけにとどまらず大谷選手の移籍でアメリカも巻き込んでの一大イベントになりつつある。そんな大谷選手が所属する北海道日本ハムファイターズのマスコットが先日のファンフェスティバルで驚きの発表をした!

共同通信

マスコットの世代交代

 ファイターズには3体のマスコットがいる。2004年の球団誕生と共に登場した、クマをモチーフとするメインマスコットのB・B。フルネームは「ブリスキー・ザ・ベアー」。2013年シーズン、北海道日本ハムファイターズ誕生10周年を機に登場した、チームの紅一点のポリー。フルネームは「ポリーポラリス」。さらに2016年シーズンよりチームの一員として加わった、キタキツネのマスコットのフレップ。フルネームは「フレップ・ザ・フォックス」。

 その発表とはマスコットの世代交代である。B・Bはグラウンドでの活動よりも、北海道全体の地域貢献の活動をメインとし、今後グラウンドではフレップが中心となり試合を盛り上げていくというもの。
 下記がB・BがファイターズHPにアップした全文だ。

【#85】時代|北海道日本ハムファイターズ

 大変ご無沙汰しております。「B・Bコラム」、実に4年10ヶ月振りの更新でございます。このコラム、まだちゃんと生きてますからね!(笑) さて、今回も僕から皆さんへ「伝えたいこと」があってのコラム更新ですが、今回は特に、とても重要なお知らせに

北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト

マスコットの命とは?

みなさんに注目して欲しいのはこの一文だ。

マスコットとて機械ではありません。時間と共に、様々な変化は嫌でも起きてくる。マスコットの場合、選手とは違って永遠の命を得る「特効薬」があることはあります。但し、それは「記憶」という大きな代償と引き換えになり、そのマスコットに想いを持ってくれるファンの心に大きな傷を残すことになります。
B・B's コラム|北海道日本ハムファイターズ

 大人の方なら理解できるであろう。小学生の子供達も本当はわかっているかもしれない。でも誰もそれを口にはしない。しかしそれを本人自ら発したのだ。

 球団と何度も何度も話あったのだろう。おそらくそれはフレップが誕生するずっと前から。『特効薬』の話ももちろんあっただろう。でも双方が下した決断は、『B・Bとして生きる』ということ。ただのマスコットではないのだ。このB・Bがいう『記憶』はそういうことだ。

巨匠、つば九郎

 他球団のマスコットにも目を向けてみよう。東京ヤクルトスワローズのマスコットつば九郎。はっきりいうと、野球に詳しくなくてもつば九郎は知っているという方が多くいる。スワローズの選手よりも知名度は高いだろう。彼もその『記憶』をずっと持っている。つば九郎のブログを見てもらえればそれは一目瞭然だ。宮本慎也さんとの思い出や他球団の選手との出来事などは『特効薬』を使えば全てが消し去られてしまう。僕も何度も一緒に仕事をさせてもらっているが、僕たちなりの阿吽の呼吸がある。それは『記憶』があるからだ。

共同通信

B・Bとファイターズが示した命

 はっきりいってこのニュースを見たときは、そうなんだという気持ちぐらいしかなかった。しかし改めてこのB・Bのコラムを読んだ時に僕は泣いた。涙が止まらなかった。感動した。球団がマスコットをマスコットとして考えず、『命』をつなぐために必死になって想いめぐらせた結果が今回の取り組みだと思う。さらにそれは先輩選手から後輩選手へのバトンタッチのように、背番号の後継者のように繋がっていく絆だ。今度メインマスコットになるフレップもB・Bと同じような境遇になった時に、ファイターズは必ず『命』を繋ぐだろう。マスコットの『命』が大事にされているのが心から嬉しい。

 これからのB・Bとフレップの活躍に大いに期待したい。フレップはメインとしてしっかりとファンに愛され、そしてB・Bを超える存在に。そしてB・Bは末長く北海道のシンボルマスコットとして、野球ファン以外の方からも愛されるよう切に願っている。マスコットと共に長い時間を過ごした僕は『尊敬』と『敬意』を持って今回の決断を後押しする。

南隼人

著者プロフィール 南隼人

大学卒業後、スポーツMCのキャリアを重ね、2012年から横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJに。2016年から実況アナウンサーを務め、侍ジャパンオフィシャルMCとしてWBCに帯同した。Bリーグアルバルク東京のアリーナMC、ロードバイク実況など様々なスポーツに精通し、自身でもスポーツイベント等のプロデュースも手掛ける。 FMヨコハマではスポーツ番組『ミナミスポーツ』のDJ。 また2004年には日本代表選手兼親善大使としてニューカレドニア世界親善野球大会に出場した経験も持つ。