【大阪で実感する圧倒的な阪神人気】

 テレビをつけると、やしきたかじん、ハイヒールのモモコとリンゴ、そして阪神タイガースがいつも映っていた。

 誰だこの人たちは……。みんな関東のテレビじゃほとんど見た事ない。もう20年近く前、大阪の大学へ進学するため天王寺で生まれて初めての一人暮らしを始めた時の話だ。埼玉出身の巨人ファンが大阪のど真ん中で生活をする。若さとは無知であり、無知とは時に大きな武器になる。だって、何も怖くないからね。なんつって大昔のフォークソングのような言い回しだが、激安スーパー玉出と阿倍野筋のユーゴー書店に通い、難波のカプセルホテルでバイトする日々。そんな大阪生活は本当に楽しかった。

 実際に天王寺に住んで驚いたのは、やはり阪神人気の凄まじさだ。地上波テレビの情報番組では、まだ1軍半の若手までスター選手扱いで取り上げられる環境。御堂筋線の車内でおばちゃん2人組がマイク・ブロワーズの打撃フォームについて語っていた風景は今でも鮮明に覚えている。近鉄やオリックスより、とにかく阪神。球界再編前、大阪ドームの近鉄戦は悲しいくらいに客が少なくて、内野指定席は前方シートにほぼ自由に移動できる観戦環境。恐らく、90年代の関西ではグリーンスタジアム神戸でイチローを見たことがあるファンよりも、甲子園の阪神戦へ行ったことがある人の方が圧倒的に多いと思う。

【世の中がイチローに慣れた90年代後半】

 そのイチローと言えば、dj hondaのなんだかよく分からない黒いキャップ…じゃなくて94年の210安打、95年の“がんばろうKOBE”での初優勝、96年のオリックス初日本一(この間パ・リーグ3年連続MVP受賞)の日本時代と、2001年以降のメジャーリーグでの活躍や2度のWBC優勝が取り上げられることが多いが、意外と90年代後半から2000年の背番号51が語られることは少ない。当時の球界はまだ巨人中心で回っていた時代で、もちろん関西では阪神が圧倒的な人気を誇り、もはや世間も「天才イチローが何をしても驚かない」という領域にまで達していたためニュースになることも少なかった。その周囲を取り巻く一種のマンネリ感がイチローのメジャー移籍への後押しとなったのは否めないだろう。

 この頃の週刊ベースボールの表紙を頻繁に飾っていたのは、ゴールデンルーキー高橋由伸であり、西武の恐るべき18歳松坂大輔。今で言えば日本ハムの清宮幸太郎がスポーツ新聞の一面を飾っているように、いつの時代も大衆は常に新しいものを追い求めるのである。そんな状況でもイチローは驚異的なペースでヒットを量産して、94年から前人未到の7年連続首位打者を獲得。王貞治の13年連続ホームラン王と並んで今後半永久的に破られることはなさそうな偉業だが、実はイチローの90年代後半は決して順風満帆とは言えなかった。

 98年は日米のキャリアを通じてワーストの年間21併殺を記録。シアトル・マリナーズの春季キャンプに招待された99年は、8月下旬に右手に死球を受け骨折して1軍定着以来最少の103試合の出場に終わり、開幕4番で迎えた2000年も夢の4割を狙える勢いで打ちまくっていたが夏に右腹斜筋挫傷で離脱。そして、20世紀最後のシーズンにパ・リーグ歴代最高の打率.387を置き土産に、10月12日、ポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を正式に表明するわけだ。翌13日にはグリーンスタジアム神戸のペナント本拠最終試合となる西武戦で、26歳のイチローは9回にライトの守備に就き2万6000人のファンにお別れ。ちなみにこの年のオリックスは4位に終わったが、スタンドからは罵声ではなく惜別の「イチローコール」が鳴り響いた。(ただ、当時3万3000人以上収容できる本拠地が満員にならなかったのは今となっては驚きだ)

【昭和が“ON”なら平成は“イチローの時代”】

 思えば、94年に登録名を鈴木一朗からイチローに変更し、いきなり210安打を放った頃の背番号51はこれまでの野球選手のイメージを変えるオーバーサイズのヒップホップファッションで街を歩き、あの伝説の10.8決戦では、ナゴヤ球場の内野席で笑顔で焼そばを頬ばりながら地元中日を応援する姿がカメラに捉えられた。そんな無邪気な野球少年も神がかった成績を残し続けるうちに、年俸5億円の国民的スーパースターとなり、多くのテレビCMに出演し、私生活では女優との交際を追いかけられ、遠征時は新幹線のチームメイトとは別行動で飛行機移動する。90年代後半から2000年にかけては、野球ファンの印象も“オリックスのイチロー”と言うより、“イチローのオリックス”状態。さすがに当時の主力選手が「いくら天才打者でも特別扱いするのはチームのためにもよくない」と提言したら故・仰木彬監督はこう笑ったという。
 「ほかの選手と一緒に新幹線で移動すると、ファンの眼にはイチローがどこにいるのかよく分からない。プロの選手は目だってなんぼだからね」

 そんな仰木マジックのもとノビノビ育ったオリックス時代の背番号51。先日、テレビ朝日系列で放送された『ファン1万人がガチで投票!プロ野球総選挙』の野手部門で2位王貞治、3位長嶋茂雄を抑え1位に輝いたのがイチローだった。色々突っ込みどころの多い番組かもしれないが、昭和が“ON”なら平成は“イチローの時代”なのは確かだろう。

 平成を象徴するプロ野球選手。プロ27年目、45歳になる今季はいったいどこのチームのユニフォームを着るのだろうか?



(参考資料)
『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 2000年』(ベースボール・マガジン社)
『プロ野球運命の出会い 男達の人生を変えたもの』(近藤唯之著/PHP研究所)

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プロ野球死亡遊戯

著者プロフィール プロ野球死亡遊戯

1979年生まれ。埼玉県出身。2010年よりブログ『プロ野球死亡遊戯』を開始。累計7000万アクセスを記録し話題となる。主な著書は『プロ野球死亡遊戯 そのブログ、凶暴につき』など。本名は中溝康隆。