トレードによって輝きを増した!? 西武の黄金期を支えた守備職人、平野謙とは?

1988年に西武ライオンズへ移籍してきた平野謙。平野謙は80年代中盤から90年代にかけての西武の黄金時代を支えたことでも知られています。平野謙の持ち味といえば、俊足と堅守。さらに2番打者として必要な送りバントなどの進塁打。そんないぶし銀タイプの名選手だった平野謙の野球人生は一体どんなものだったのでしょうか?

BBCrix編集部

戦力外寸前だった平野謙を見初めた近藤貞雄監督

皆様、平野謙コーチのご家族のNHKドラマ&本をご存知でしょうか。+補足 [ (´∇`)ノ中日ドラゴンズを応援しています! ]


これで2年目の春季キャンプから外野手登録となった平野謙ですが、当時からその俊足は目立っていましたが、打撃がネックに。打者転向後の2軍生活でも打率が2割台半ばだった平野謙は3年目のシーズンオフに戦力外になりかけますが、平野謙の戦力外に待ったをかけたのが、この年に新監督に就任した近藤貞雄。

もともと打撃に偏り気味だったチームを不安に思っていた近藤監督は平野謙の持ち味である俊足に目をつけ、走塁のスペシャリストとして起用することにしました。平野謙もその期待に応え、プロ4年目の81年には初の開幕1軍の座を掴みます。

81年の平野謙は110試合に出場しましたが、打率は2割3分台。そのため、平野謙の仕事場は主にライトを守っていたチャーリー・スパイクスの守備固め。しかし、この年のシーズンオフにスパイクスが解雇され、センターのポジションに空きができると、平野謙にもチャンスが到来。ライバル選手たちとの熾烈な争いを制して、平野謙は翌82年の開幕レギュラーの座を掴みます。

迎えた開幕戦こそ負傷のため途中退場した平野謙ですが、翌日の試合で平野謙は痛めた右ひざにテーピングをして試合に臨むという執念を見せます。この試合でプロ入り初アーチを放った平野謙はその勢いのまま2番打者としてレギュラーに定着し、初の規定打席到達。中日ドラゴンズのリーグ優勝に大きく貢献しました。

これまでは打撃に課題を抱えていた平野謙ですが、この年の平野謙はチーム内で3位となる2割8分8厘を記録。さらに前を打つ田尾安志を進塁させるための送りバントが多く、当時の記録となる51犠打をマークしました。

翌83年からは前年の活躍が認められ、平野謙はそれまでの背番号57番から3番に変わります。さらに85年に田尾安志が西武ライオンズへトレードされると、平野謙は今までの2番打者から1番打者へチェンジ。この年の平野謙は自身初となる打率3割を記録して、82年以来、2度目となるゴールデングラブ賞を獲得して、数年前までは戦力外候補だった平野謙は一躍、チームの顔となりました。

平野謙とソリが合わなかった“燃える男”星野仙一

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プロ入り8年目となった86年。平野謙は2年連続の全試合出場を果たし、初のタイトルとなる盗塁王を獲得し、さらにオールスターゲームにも初出場。チームどころか、セ・リーグを代表する外野手となった平野謙はこの年のオフシーズン、中日ドラゴンズの選手会長に就任します。

プロ野球選手としてピークを迎えた平野謙ですが、翌87年はキャンプの段階から左足の負傷に苦しみます。さらにシーズンに入ってからも死球による骨折の憂き目に。平野謙が一軍登録を抹消している間に台頭した若手選手の活躍で、平野謙は一気にレギュラーの座を失ってしまいます。

それと同時に沸き上がったのが、この年の新監督に就任した星野仙一との不仲説。闘志を全面に押し出したプレイスタイルを好む星野監督は飄々とプレイをするように見える平野謙のプレイスタイルを受け入れられず、平野謙もまた、監督が替わったことによって増加した練習量に不満をこぼしていました。

そうして迎えたある日の試合で、平野謙は打ちあがったフライをショートとお見合いするという凡ミスを喫してしまいます。これを機にレギュラーの座を失った平野謙はこの年のシーズンオフに西武ライオンズの投手、小野和幸との1対1でのトレードを通告されました。

平野謙は中日ドラゴンズの本拠地である愛知県出身で、地元チームの生え抜きスター選手でしたが、移籍が決まると平野謙にはもうチームへの未練はなく、球団社長から「日本シリーズで会おう」とねぎらわれても、「(僕が移籍する)西武は日本シリーズに出られると思いますが、中日はどうですかね」とやり返すという、芯の強さを見せました。

西武移籍で復活。平野謙は常勝チームのキーパーソンに

ヒストリー | 埼玉西武ライオンズ

中日ドラゴンズ時代に盗塁王を獲得するなど、一定の好成績を収めていた平野謙ですが、本当の意味で一皮むけたのが西武ライオンズへ移籍初年度となる88年。もともと平野謙に目を付けていたという西武ライオンズ監督の森祇晶は移籍選手である平野謙にことあるごとに声をかけ、期待を寄せていました。

そうした監督の期待が平野謙の心境を変えます。練習中でもそれまではマイペースの調整が多かった平野謙でしたが、西武ライオンズの選手たちはベテランでもハードなトレーニングを積んでいたことに感化され、平野謙は意識を改め、これまでとは違い、ハードなトレーニングを率先して行うようになりました。そして、明るい西武のチームカラーにもなじみ、いつしか平野謙はひょうきんなキャラクターが注目を集めるようになりました。

結局、この年の平野謙はキャリアハイとなる打率3割3厘を記録して、チームの日本一に貢献します。そして移籍してきたこの88年から一貫して2番打者としてチームを支え続けた平野謙は5年連続でパ・リーグの最多犠打をマーク。90年には吉田義男がもっていた日本記録を更新する通算265犠打を記録し、平野謙は日本一の犠打の名手の座を不動のものにしました。

打撃成績のみではなく、平野謙の自慢である守備は主にライトを守った西武時代も冴えを見せます。センターを守る秋山幸二とライトの平野謙のコンビは「鉄壁」として他球団の選手たちからも恐れられました。89年には平野謙は日本記録まであと2つと迫る21補殺を記録したのも守備職人、平野謙たるゆえんと言えます。

しかし、93年ごろから徐々に衰えが隠せないようになり、その年のオフに平野謙は千葉ロッテマリーンズへとトレードされます。その後は目立った活躍ができないまま、平野謙は96年のシーズンを最後に引退。19年間の平野謙のプロ野球人生にピリオドを打ちました。

いぶし銀として光った平野謙の19年間

平野謙は盗塁王を獲得した中日ドラゴンズ時代よりも、トレードで移籍した西武ライオンズ時代の方が充実しているのがわかりますね。環境が変わることによって伸び悩む選手も多い中、平野謙は逆強をバネにして好成績を残しているのがわかります。

環境の変化によって、選手は大きく変わる…そんなトレード移籍の醍醐味をもっとも感じさせてくれる選手の一人が平野謙といえるでしょう!

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