すったもんだの移籍劇。野茂英雄がメジャーで大活躍した理由とは!?

現在のように日本人選手がメジャーリーグへ移籍するきっかけとなった選手といえば野茂英雄であろう。野茂英雄は独特のトルネード投法を引っさげ、アマチュアからプロ野球に入り、数々の名勝負と華々しい記録を残しました。当時は簡単ではなかったメジャーリーグへの移籍を実現させ、メジャーでも社会現象になるほどの野茂英雄旋風を巻き起こし、日本人選手の質の高さをアメリカに広めました。ではなぜ野茂英雄がメジャーにいったのか、行かざるを得なかったのかをレポートしましょう。

BBCrix編集部

トルネード投法誕生の秘話!セレクションで落とされた野茂英雄

野茂英雄は大阪市で生まれ、小学校から野球を始めました。実はこの頃から「カラダを捻って投げると直球の威力が増す」と考え、野茂英雄はあの独特なトルネード投法の原型となるフォームで投球していました。高校時代までは社会人やプロで活躍した時ほど捻ってなかったので、当時の高校監督からは「つむじ風投法」と呼ばれていたそうです。野茂英雄は近大付属高校など、当時の強豪高校のセレクションを何校か受けたがどこも不合格となったため、府立成城工業に進学します。今でも非常に独特なトルネード投法ですが、その当時は「野茂英雄」という成功者がいなかったので、強豪校の監督はカラダを捻る変則投法の投手に正しい評価をつけられなかったのかもしれませんね。そうして大阪の無名公立高校に進学した野茂英雄の高校野球は甲子園には縁のないものとなりました。しかし大阪では名の知れた存在で、プロからの誘いがあったものの、新日本製鐵堺に入社します。ここで野茂英雄にとってトルネード投法と同じくらい印象的な武器となる「フォークボール」を身につけました。このことによって、豪速球と速くてするどく落ちるフォークのコンビネーションを確立し、2年目にはチームを都市対抗へ進出させる大活躍をみせます。その活躍もあって野茂英雄は日本代表にも選ばれて、古田敦也や潮崎哲也らとともに日本を銀メダルへと導きます。
アマチュアNo.1ピッチャーとなった野茂英雄は次の舞台をプロ野球に定めます。1989年にドラフト会議を前に指名があればどの球団にも入団する意向を発表。なんとプロ野球史上最多の8球団が1位指名し、抽選の結果近鉄バファローズが野茂英雄との交渉権を得ました。野茂英雄は宣言通り近鉄への入団に合意し、史上初となる契約金1億2000万円という額で世間に衝撃を与えました。そのとき野茂英雄の入団する条件として、投球フォームを変更しないという文言が含まれたと言われています。

トルネード旋風が日本を覆った。野茂英雄のプロデビュー

野茂英雄が野球殿堂入りするということ…。: あい ウオッチ baseball!!-敗戦処理。ブログ

鳴り物入りで近鉄に入団した野茂英雄。当時の監督仰木彬は非常に野茂英雄のことを買っていた。いや仰木彬という人は非常に審美眼が優れた人だったのであろう。
チーム内外からでる野茂英雄フォーム改造への声を一蹴し、「トルネード投法」と名付けて野茂英雄の長所を存分に引き出した。この仰木彬との出会いがなければ、野茂英雄の華々しい活躍はなかったであろう。

トルネード投法と名付けられた野茂英雄はプロ初年度から前評判以上のとんでもないピッチングを見せつける。
1990年4月29日のオリックス戦では1試合17奪三振の日本タイ記録を達成。一年をとおして高いパフォーマンスをみせた野茂英雄はなんと18勝をあげ最多勝を獲得。それ以外にも最優秀防御率と最多奪三振、最高勝率など投手4冠を達成。もちろん新人賞とMVPも受賞し、なんと投手で最高の栄誉とされる沢村賞をルーキーイヤーに獲得する快挙を成し遂げた野茂英雄。このとき日本には空前の野茂英雄フィーバーが巻き起こり、清原和博らと数々の名勝負を繰り広げることとなります。

その後野茂英雄は91年に17勝、92年に18勝、93年に17勝をあげ、近鉄はおろか日本プロ野球のなかでもスペシャルな存在となった。そんな野茂英雄が突如変わります。94年シーズンは8勝にとどまり、その年のオフにメジャーリーグへ飛び立っていくことになります。

野茂英雄が悪者になった理由。メジャー移籍劇の裏側とは

野茂英雄氏がドジャースタジアムで始球式 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News

入団4年間を平均17.5勝という驚異的な成績で数々の記録を受賞した野茂英雄。そんな野茂英雄がメジャーリーグへ電撃的に移籍したワケに迫りましょう。

実は野茂英雄がメジャーに移籍する原因は2つあると言われています。まず1つ目に近鉄バファローズへの不信感、2つ目に仰木彬監督から引き継いだ鈴木啓示監督との確執です。

では野茂英雄が抱く近鉄への不信感はどこから来たのでしょう?まず一つに、野茂英雄が先発するときに球場駐車場に車を停めると、球団関係者から近鉄本社の偉い人がくるので車を退かすように言われた。そして契約交渉の場で優勝したら年棒をあげなくてはいけなくなるから、「優勝争いをして、2位になるのが一番」と言われたなどがあります。ここに挙げた理由以外でも球場設備や他球団との待遇の差など球団不信へ繋がる理由は数多くあります。

そしてもう一つの理由である鈴木啓示監督との確執です。鈴木啓示は前任の自主性を尊重する仰木彬とは真反対の考え方で、野茂英雄に数々干渉をしていきます。まずはトレーニング方法ですが、野茂英雄は遠投や各種トレーニングなど合理的な方法を用います。しかし投手出身の鈴木啓示は走ることが大事と考え、とにかく多くのランニングを投手陣に課します。
また野茂英雄が契約条項にも挙げていた「トルネード投法」の改造をしようとし、それに従わない野茂英雄に対して「野茂はエースではない」など、4年連続最多勝の投手に対して敬意を欠いた発言を繰り返しました。

その結果この監督の下ではやれないと判断した野茂英雄は移籍を考えます。
しかし近鉄球団に移籍を直訴しても、不調に終われば任意引退になり保有権を近鉄が有するので、日本で野球ができなくなります。このとき自分の将来も考えて移籍を望んだ野茂英雄と代理人は、プロ野球の規定である任意引退制度に抜け穴があることを発見します。MLBとNPB双方のコミッショナーより「日本の任意引退選手はアメリカでプレーできる」と回答を文書で回答を得ます。これが野茂英雄にとって切り札となり、メジャー移籍へと加速します。このとき野茂英雄サイドは、どうしても球団に任意引退扱いしてもらわないといけないために一芝居打ちます。代理人から絶対に球団が納得しない要求を突きつけ、球団側を怒らすことで任意引退扱いを受けようと画策します。そのため交渉の場で野茂英雄の要求として、代理人交渉・複数年の6年契約・20億円を出します。案の定怒り狂った球団側とは交渉決裂し、野茂英雄は任意引退となります。このときの交渉内容をマスコミに流され日本では野茂英雄バッシングの嵐となりました。しかし野茂英雄はこのバッシングに無言を貫き移籍先を探します。そのなかでドジャースと交渉が進み、年棒980万のマイナー契約でドジャース移籍が決まります。日本で1億円以上稼いでいた野茂英雄が980万円になってまで、追い求めた夢のメジャーの舞台に足をかけた瞬間でした。

野茂英雄がアメリカで成し遂げた偉業とは

野茂英雄の凄さ 「先駆者賞」授与 彼こそふさわしい賞!!:話題のホットニュ-ス!:So-netブログ

ドジャースに移籍した野茂英雄に対して、日本のメディアはおおむね活躍はできないという論調でした。しかしキャンプ、オープン戦で実力を示した野茂英雄は5月2日のジャイアンツ戦でデビューし、村上雅則以来31年ぶりとなる日本人メジャーリーガーが誕生した。そして6月2日のメッツ戦で初勝利を挙げると、14日のパイレーツ戦で球団新記録となる16奪三振を果たし、24日のジャイアンツ戦で日本人初となるメジャーでの完封勝利を達成し、一躍アメリカで野茂英雄旋風、トルネード旋風を巻き起こした。このころから日本のマスコミも野茂英雄への今までのバッシングが嘘のように、メジャーでの活躍を讃える報道が多くなった。この年オールスターにも選ばれ、先発も果たした野茂英雄は、最終的に13勝6敗となった。また防御率はマダックスに次ぐ2位の2.54、236奪三振は最多奪三振のタイトル受賞となり、ドジャースを地区優勝へ導く大活躍であった。この年の新人賞をチパ・ジョーンズを抑え受賞し、サイ・ヤング賞でも4位に入り野茂英雄はメジャーでも屈指の好投手と呼ばれるようになった。その後もメジャーで実績を残し続け、イチローや松井秀喜がメジャーで活躍する礎をつくり、メジャーリーグにおいて日本人選手の質の高さを証明しました。野茂英雄はドジャース退団後、数々のチームを渡りMLB合計12年で109勝を挙げました。日米通算奪三振率9.28で、奪三振率が9.00を上回る投手は日本では野茂英雄一人で、メジャーを含めてもノーラン・ライアン、ペドロ・マルティネス、ランディ・ジョンソン、サンディ・コーファックスと野茂英雄の5人のみである。引退後野茂英雄は臨時コーチや野球解説者を務めながら、社会人野球チームNOMOベースボールクラブを設立した。ボーイズリーグのジュニアオールジャパンの総監督も務めるなど、後進育成を積極的に行っている。

メジャー挑戦のパイオニア野茂英雄

ヒーロー伝説! 野茂英雄 ( 野球 ) - ジョンの魂と地球の憂鬱 - Yahoo!ブログ

野茂英雄は投球も革命的であったが、その生き方も革命的である。飛んでくるバッシングを物ともせず、道無き道を突き進み、後に続くものへの道を明るく照らした。また私たち一般のファンに対しても、150km/hを超える豪速球と落差の大きいフォークボールでの三振ショーで野球の楽しさを再認識させてくれたヒーローだ。これからも自分自身に続く選手を育てて、また野球界を熱くしてほしい。

「ドクターK」日本人メジャーの道を切り拓いた野茂英雄の足跡を辿る! - Middle Edge(ミドルエッジ)
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